みんなで楽しめる痴呆性老人ための娯楽ゲーム

 

東京医科歯科大学  若松 秀俊

 

1 何のために何をするのか

 

老人が生活を楽しむ空間

 

安全に,容易に,楽しさを享受できる生活環境の整備

周囲の人の生活の保証

仲間と自然に交わり、自然に離脱できるグループの醸成

楽しく過ごすために音楽,色彩,装いなどを導入

身体的・知的能力の補助,リハビリテーション

何らかの効果が待っている遊びの場

 

 

 昭和61年足利工業大学在職の頃,特別養護老人ホームで老人が知らぬ間に道路など危険な場所に出てしまうことが介護者の心配事であることを知り,電子工学の技術を生かして,彼らの外出を知らす保護システムの開発を手掛けた。当時は老人の人口が10%程度で未だ高齢化をとくに問題にするに至っておらず,現在のような社会的な関心と支持も得られなかったが,とにかく老人を精神的にも肉体的にも拘束することなく自由な雰囲気で介護者や家族の負担を減らすことに努力したのが,老人とのつきあいのはじめであった。介護人は家事をしながらでも,また外出中でも隣人の協力を得て老人の行動の追跡・保護が行えるように設計した。こうした経緯は老人の暗い側面を想像させるものであったが,むしろ老化をその人のもつ『人生の勲章』として,誇り高く楽しく過ごすというような,明るい生活のイメージを想起させることこそが,これからの長寿社会で重要である。そしてそれがリハビリテーションにも役立つのであれば,さらに望ましいと考える。ところで我々が迎えた長寿社会では,老人と共に若者が「如何に過ごすか」が未経験の重要課題である。したがって家庭や施設にあって,老人との自然な交流に役立つ既存の方法の充実,新たな方法の開拓は社会からの切実な要請でもある。我々は研究テーマである仮想現実をいかにして現実の生活に役立てるか,その方法の研究を行ってきた。そのうちの一つがコンピュータによる遊興施設構築の試みである。この方法は,とくに大きな設備も多人数の補助者も必要とせず,しかも何の「訓練」なしに誰もが行える「遊び」と「遊び場」を提供する。痴呆性老人が周囲の家族や仲間を巻き込んで,積極的に「遊び」に参加するような環境を保証する。すなわち,老人も子供も,また大人も介護者も,気が向けば自発的に「遊び」を楽しめるような環境を構築する。ここでは痴呆性老人にとって望ましい「遊び」のあり方について述べ,痴呆性老人を個人または集団として,そうした「遊び」に誘引して,さらに彼らを一定時間引き留めておくようなゲームの内容とデザインを検討した結果を述べるとともに将来への見通しについても考えてみる。

 

2 「遊び」のあるべき姿

 我々は,本来「遊び」を生活の「ゆとり」としてとらえ,これから得られる楽しみと満足感を手軽に老人に日常的に提供することを望んでいる。したがって,具体的に「遊び」を提供する手段としてのゲームに多くの場で言われているような,痴呆の老人の生き方とか生き甲斐などに結びつける議論はことさら行わないこととする。すでに,人生を自ら貫いてきた老人にとって,そのような議論よりは,如何にして「ゆとり」を確保するかの方が大切であると考える。

「遊び」が生活の中の「ゆとり」なら,「遊び」の中では生活の中と同様に肉体的・精神的衰えから発生するハンディを考慮して,老人に優しい言葉と労り,例えば近くで話したり,体を支えたりすることが肝要であろう。すなわち,「遊び」のなかでは,彼らの潜在的自尊心を傷つけないように,優しい態度でごく普通に接することによって彼らの心の内に「ゆとり」を醸成すれば十分であり,それが老人の尊厳にとってもふさわしいことになると思う。

 

 

図1「遊び」とゲーム態度

したがって,「遊び」を提供するゲームに特別な意味や論理性を持たせるのではなく,(1)老人の過去を尊重し,今の言動をそのまま受容し,その自由意志に任せること。(2)老人の今のレベルにふさわしい状況を提供すること,すなわち老人のペ−スに合せたよい刺激を与え,それが適度の精神的活動,適度な肉体運動になれば,それで十分であると考える。また,(3)なじみの仲間の集りを自然につくり孤独にしないようにすることであり,(4)状況によっては健常老人との自然な接触が可能な環境を提供することである。そして,結果的に(5)介護者の肉体・精神・経済的負担の軽減になり,日常生活の世話,真の介護への集中への余裕が生まれることが肝要である。

 それでは その「遊び」にどのように誘ったら良いのかを考えてみる。前述のように,本来「遊び」は日常の「ゆとり」であり,特に理屈を当てはめる必要がないので,その導入にも理屈は不要であると考える。日常の習慣的生活に意義とか理屈を求めるのは,子供が自然に会得した習慣に論理体系をことさら求めたり,会話にわざわざ文法を求めて議論するのに似かよっている。遊びは楽しければそれで十分で,飽きたらまたは疲れたらやめればよいはずである。従って,老人をゲームに導入するのは目の前でその動作を示すか,または他の老人の行動を真似るようにすればよい。その場の雰囲気や他人に引きづられてはじめたり、やめるようなものが好都合であろう。これはいわば生活の常識であるから,この常識を教えるという態度をとることは,かつてそれを教えてくれた老人に対して過ぎた行為であると感じるからである。我々が未だ解明できていない意識の世界で,もしかしてそれを老人が何らかの形で認識しているとすれば,ますますもって教えるという態度を排除しなければならないし,むしろ彼らの表面に現れた論理性を欠いた言動を積極的に受容し,その心を推測することが必要になる。

以上の理由からゲームの設計のための基本的要件は

(1)ルールを設けない。優劣を競わず,学習効果を求めない。従って上手にできるかどうかは本人の満足度に関係するだけで主観的なものである。遊びを終えてにっこり微笑むようであれば十分である。

(2)ゲームは過去の肯定的経験のみから類推できる自然に参加可能なものを考える。 従って,生命の危険に曝されたような経験を思い出すようなものは避けるべきである。

(3)関心・好奇心をそそるものを探し出す。自由意志で参加・離脱でき,老人が個人でも集団でも,また子供や健常な大人も楽しめる飽きが来ないものをつくる。

(4)ゲームの最中は,ヒトとしてのふつうの扱いが重要である。そのために,他人と自由に接触できる雰囲気内で一緒に行い得るゲームを開発する必要がある。

 

3 システムの構成

 ところで,上記のような遊興システムが実現できればどんなに高価なものでも良いかといえば,そうでもなく,やはり一般家庭でも手軽に用意できるという経済性が重要な工学的要件のひとつになろう。そこで,安価に大量に生産できてしかも施設と家庭で利用可能なシステムとして,「遊び」以外の生活と「遊び」を家庭内でも施設内でも,既存の技術で連携できるシステムであることが重要になる。ところで,老人にとっては過去に最も関心をもった肯定的な人・物が,とくに家族との関係が重要でなので,これをデザインするのが望ましく,しかもそのデザインが簡単に変更できることが大切と思われる。そのためには構成が単純で運用が簡単なシステムであることが肝要であり,これらの要求に上手に合致するものがコンピュータの援用による画像・音響処理技術を総合的に支えるマルチメディアの技術である。図2が「遊び」のための施設の基本的な構成である。

 

 

「遊び場」となるべき部屋には安全のためになるべくものを置かないことが重要である。部屋の大きさは養護施設のデイケアルーム程度の広さ,家庭にあっては6畳ぐらいの広さあるいはそれ以上が望ましい。ディスプレイは部屋の白壁やスクリーンに任意の大きさで映写できるプロジェクタによって行うのが望ましいが,家庭用のビデオ再生の可能なテレビジョンで十分である。その他,画像処理の効果を上げるために背景となる青色のカーテン,撮像用のビデオカメラ,コンピュータおよび適当なソフトウェアが必要である。

 

 

 

 

図3 ゲームの基本的なコンセプト

図4 遊興システムの構成図

 

4 ゲームのデザインの実例

 仮想空間内で痴呆老人が仮想物体に触れることによる音声の変化を伴う画像の変化を実時間で表示することがゲームの基本である。これを図3に示した。

なお,背景の動画の変化に伴う音響効果は市販のCD-ROMの童謡をコンピュータで演奏すれば十分に反映できる。「遊び」を支えるゲームとして,具体的に以下のようなものを考えて制作したので,その一部を紹介する。

 

(1)「月と太陽」:誰でも日常接する月と太陽などを示す球を動く物体としてデザイン。球が動き回る。球の大きさがいろいろと変化する。これらに触れると破裂したり色が変わったり,反射したりする。それと同時に特有の音を発する。バックに童謡か民謡などを流すと効果的。ストリーは特になく、比較的単純なゲームである。

(2) 「将棋が好き」将棋が好きだった老人のためには,大きさが変化する将棋の駒が動きまわり,これを取ろうとすると別の駒が間に入って妨害する。片手で触ると駒が逃げ両手で触ると駒が成り金になる。王将に対しても両手で触ると取ることができ,賞賛の音響が入る。歌謡曲「王将」などが適合する曲である。

(3) 「魚釣り」つりの好きな人には魚やタコを老人の周りで泳がせ,それに触れさせる。魚は方向を変えて逃げたり,消えたりするが両手で触れると捕らえられる。

(4) 「おとぎ話」誰でもよく知っているおとぎ話の一場面を動画像化する。たとえば,部屋の温度を下げ海の中の環境を実現する。竜宮城と乙姫などを表現して一緒に踊る。浦島太郎の歌をバックに流す。

(5)「若返りの旅」亡くなった 配偶者を写真を利用してデザインする。なかなか触れられないが最後にめでたく手許に捕えることができる。などである。

図5は実際に仮想空間内で「月と太陽」で遊んでいる老人の様子(模擬)である。

図5 壁に映った仮想空間内で遊んでいる痴呆性老人(模擬)

 

5 発展方向への提言

 バーチャルリアリティは肢体不自由の場合や遠隔地にあって直接物理的に体験不可能な場合や,ミクロやマクロの世界,想像の空間の中で,仮想物体・仮想用具・仮想施設を構成するシステム技術である。システムの操作そのものと操作による臨場感・達成感・満足感に価値があると思っている。したがって,過去に体験したもの,失ったものの再現と回顧のために仮想のものを合成する場合に,不足しているものや手に入りにくいものを自ら選択できることが重要であり,そのために種々の感覚を付与し,より高度な臨場感の実現が必要である。この点では未だその技術が十分に発達していない。ところで,この技術から生まれる世界はあくまでも現実ではないので,現実との精神的・肉体的距離を保つ必要があり,この方針を原則的に貫けばバーチャルリアリティを用いたゲームを長寿社会で真に役立てることができるものと思われる。したがって,努力すれば実体験が得られる場合や現実のものに接する可能性を持ち得る老人を対象とする場合にはゲーム化よりも実体験を優先し,これに任せるか誘導することを心がけることが重要であることを指摘しておきたい。すなわち、ゲートボールが自らの意思で戸外でできる人に、このようなゲームをわざわざさせることいはないとういことである。

 

6 ゲームのあり方と期待される効果

 限られた感覚神経・運動神経の刺激は避け,精神活動全般・肉体活動全般にわたる穏やかな刺激によるバランスのとれたゲームは健常者にとっても良い影響を与えるものであろう。恐怖感,感情の圧殺されたものは極力避けるべきである。また,倫理観の欠如したものや情動または本能に訴えるものや過剰な刺激を与えるものは好ましくない。基本的には快い刺激を求めるべきで,その中でも現実との境界を明確にし,すべてを仮想のもので賄うシステムは避けるべきであろう。とにかく,痴呆性老人の情緒への肯定的な影響を重視した設計が不可欠であるし,関心・好奇心により物ごとに取り組む意欲や楽しんだことによる開放感をもたらすように設計すべきである。また過去の体験や失った人・物の再現を通した回顧は看護の質の向上のために役立つし,患者相互,患者と介護者の間のコミュニケーョンに役立つことが確かめられているで,老人にも健常者にも新たな楽しみと絆を形成してくれる。

 

 

図6ゲームの発展方向

7 おわりに

 以上のように,この種のゲームは大きな設備を必要とせず,通常の老人施設のデールームや家庭で簡単に行えるもので,とくに指示がなくとも自然に遊べるもので,仲間も興味を示し,飽きれば自然に離脱することが大きな特徴であっる。「遊ん」でいる間や「遊ん」だ後のしばらくの間は,痴呆性老人の突発的異常行動が減少することも介護者からみて事実であり,老人同士の関係も改善される。一般に新しい事物に興味を示さないといわれる痴呆性老人がその周囲で見物している痴呆性老人を巻き込んで,積極的にゲームを楽しむ様子が観察されるが,このことは今後の老人との付き合いのなかできわめて重要な意味をもつ。また,バーチャルリアリティを利用したゲームに関するシステムはこれまで個々に効果があるといわれた「馴染みの音楽・きれいな動く画像、それに合わせて自分も仲間も動く、回想、達成感」などを総て埋め込んだ点で効果が十分にある。このように安全な環境での遊びを提供するものなので,家族や介護者が本来のケアに集中できる余裕を与えてくれることも重要である。とくに集団で楽しむ『劇場型ゲーム』では,補助者が少人数でも,痴呆性老人に安全で快適な環境を提供できるので,介護人に心理的余裕を与えてくれることがわかった。今後は,これまでの経験を踏まえて心身の衰えをも考慮したうえで,痴呆性老人をより引きつけることができるような,また子供や健常者も十分に引きつけることができるようなより良いゲームの開発が望まれる。

 

図7 ゲームから期待される効果

 

なお,健常者を含めて個人でまたは集団で老人が遊んでいる構図を図8に示す。

図8 個人または集団で遊ぶ様子