病床生産と社会参加

東京医科歯科大学 若松秀俊

 

何ができるのか?

すべてのひとが周囲のどの年代の人々とも自然に交流できる生活の枠組みを整えることは長寿社会における新しい文化構築への道である。とくに老人や傷病者と「どのように関わり合い,どのように過ごすか」を彼らの立場から探ることはその基本であり,それを側面から支える医療や介護のあり方は真に受益者の立場から考える必要がある。病めるも健やかも,皆が安心して楽しく生活できるような穏やかな環境をつくることにより,相互交流の手助けになり,また必要な周囲の手が介在協調できるように先端技術を応用したシステムを構築する。その際,日常的にも長期的にも周囲との「普通の生活の相互関係」の継続が肝要であり,その前提として,個人の経済社会的基盤の整備を取り上げる。そのために老いも病めるも働ける手段を支援する社会福祉システムを構築する。これまで筆者は以上のように同様に考えて,遠隔医療とリハビリテーションに取り組んできたが,これとは別にここでは双方向通信IT技術による遠隔知的労働と生産を通した社会参加システムの構築について述べよう。

この社会福祉支援システムの特徴は

1 自らの過去の経験と技術の活用

2 病にあっても自らの意志で社会参加

3 収入確保による経済的自立

であり,具体的にはバーチャルリアリティ技術を用いて

4 通信回線による仮想材料・仮想部品・仮想製品の購入

5 遠隔操作と遠隔力覚による仮想物材の加工作業と立体視設計

6 通信回線による設計物の工場へ転送

7 工場における自動製品化への貢献

  を実現することである。

肢体がなんらかの理由で不自由な人が居室で物を生産する。もちろん,この前段階として上述の考え方と同様にリハビリテーションや遊びも含めて考えて良い。

 

このためにまず,ネットワークを通じて原材料となる仮想材料・仮想部品・仮想製品を入手する。これらの用途はいろいろと考えられるが,ここでは生産活動に限定して説明する。すなわち,仮想用具を用いた仮想設計環境をもとに,傷病者が直感に訴えながら立体視三次元仮想製品の設計・加工を行い,ネットワークを介して生産会社へ送ると,部品の自動生成ソフトにより生産が行える。すなわち,患者が寝ながらでも物を創造できる。これをまとめて図に示した。

これを支える基本技術は臨場感・操作感・安全性を実現する研究室独自のバーチャルリアリティ技術であり,協力技術として電子情報通信技術による双方向通信・大容量高速通信ネットワークや実際のコンピュータ支援の生産システムCAD(Computer Aided Manufacturing)に連動する生産ラインシステムである。

 

2 なぜこのようなシステムが必要なのか?

人は如何なる年齢や状況にあっても,自らが常に何かの役に立っている実感が生きるために不可欠である。したがって,心身の衰えや病気,または不慮の傷害にあったとき,救急時の救命支援システムはもちろんのこと,以後,ハンディが生じて通常の労働が不可能になったときでも,労働の手助けをしてくれる総合的な支援システムがあれば幸いである。このような社会での活動を支援するシステムがあってこそ自立した生活の喜び,自らの能力を維持する喜び,自らの行動の選択肢をもつ喜び,他にできるだけ依存しない喜び,他と自然な協力ができる喜びを感じることができ,結果的に幸せを実感できる。足りないものに対してそれを補うのが技術であるとすれば,それはまさに,継続的な広義のリハビリテーション・学習システムであり,それを利用する娯楽支援・職業訓練支援・労働支援システム,そして広く社会参加支援システムが発展的に考えられる。そしてそれらは総合的に「生き甲斐」支援システムとして意義があるものになる。これは人が動物としての生物学的特性を持つ以上,健常者であれば,ごく当たり前のことであるが,これが完全な形で遂行できなくなった人々もいる。しかし,それらの人々も最初からそのような状況にあったわけではない。年齢を重ねたり,事故に遭遇して,不本意ながら十分に活動できなくなったり,あるいはそう周囲から見られることが多くなるからである。したがって,彼等の生活空間と生活時間をほんの少し支えれば,壮年期の健常な人と同様に,いやそれ以上のことができるかもしれない。それによって,患者の社会的活動と貢献,経済的自立,患者自らの価値の再認識,生き甲斐の再獲得と満足感を得ることができると思われる。このことは人同士が普通につき合う上で,自己と他との関係において最も重要な点であるからである。ここでは,研究室で開発した技術を総合して,その人の不足している機能を補いながら一般の健常人と同様の質的労働の遂行を支援するシステムを提案する。しかし,それには決して他に対する甘えのない,自立努力を伴う生活支援の枠内にあることが前提となっている。

 

3 どのようなシステムか

これまで,筆者は自ら安心感をもてる遠隔医療による救急支援,知的能力が減退した人々のための支援システムの開発を行ってきた。また,それとは別に,避けられない心身の衰えや不慮の傷害を支える遠隔労働による遠隔社会参加の支援システムの開発を行ってきた。傷病に倒れてなおも知的能力が健全な人が,それまでの経験を生産活動や社会活動に生かすような,労働参加による経済的自立の中で幸せを感じ,患者の社会参加の満足感を享受できる手助けとなるシステムを開発してきた。それは,自らの社会的存在と重要性の表現や生き甲斐の実感と継続的自己実現が志向できることを前提としている。そして,それは日常のなかに努力により獲得できる喜びがあり,必要な時に人間味あふれるサービスの享受可能な社会の実現の手助けになるものである。

そのシステムは目的が限定されたものではなく,リハビリテーションや学習の過程を経て自然に体得した技術が導入口になって,やがてより高度な知的労働に移行するという考えに立っている。すなわち,知的能力・身体能力が減退した人または障害のある人が,実在のものに相似な仮想材料・仮想用具を用いて本研究室の遠隔バーチャルリアリティ技術をシステム化した仮想環境内で作業する。このときの感覚と運動の体験を通して,リハビリテーション・学習・娯楽などの活動を可能にするものである。そうすることにより,けが・病気の療養中で下半身にハンディがあっても,上半身が自由に動ける場合なら,例えばベッド上で,物の創造活動への参加を可能にする。すなわち,立位,座位,仰臥位でも操作可能なゲームや紙細工,裁縫,料理,工作,芸術などの作業を通信回線を介して居室で行えば,それらが身体・精神のリハビリに連なる効果を想定できる。その場合に三次元立体視と力の感覚によって,自分の必要な仮想材料の入手と加工の喜びを実際に体験することが可能になる。これは健常者にとっても趣味の拡大と同時に「生き甲斐」を創出するシステムとして役立つ。

また,これとは別に知的能力の健全な傷病者のためのものになるが,本研究者らが確立した仮想原材料・仮想部品・仮想製品を収納する仮想収蔵設備を用いて,立体視の三次元設計加工を行うシステムを構成すれば,完成した仮想製品を通信ネットワークを介して実際の製品にする生産工場に送付可能にする総合システムを生産システムとしてネットワークで提供できる。その結果として,これまでの知的活動を継続し,生産活動を通して自らが社会参加できる満足感と社会的存在感を保ちながら「生き甲斐」の実感と継続的自己実現や経済的自立が可能になる。すなわち,それまでの経験を生かして,例えば遠隔知的労働により,自分の能力と存在を自分の周囲に再認識させることを可能にすることは,個人的にも社会的にも意義が大きい。

 

5 研究室の技術レベル

前記の総合的な社会活動支援システム構築に必要な技術は,研究室で個々に開発した技術の集積によるものである。とくに,物性を反映する映像化した数学モデルからなる仮想物体, 仮想用具の存在感表現のために立体画像合成や反力表現を可能にするシステムは,インターネット通信や大容量高速通信ネットワークの双方向通信・遠隔操作により可能であり,それらを支える技術は臨場感・操作感・安全性に優れた独自のバーチャルリアリティ技術である。しかし,その技術は仮想物体のみに頼らず,現実のものを重視した体験に特徴があり,ネットワークから仮想材料や仮想用具として不足物を補いながら作業を実行し,擬似体験を通して身体・精神をリハビリする環境を整えるものである。

すなわち本来,この技術は必要なものだけを人工的に実現し,仮想空間に直接働きかけを可能にする技術であるはずであり,システムに操作感・使用感・達成感の喜びと実際的な価値が見出せることが肝要である。したがって,これまで想像できなかったような新しい作業も可能となる。このような「訓練や指導ではなく継続的体験を擁護し,無いものを補い,できない部分の支援による自立的生活の支援」は日本福祉学会などで最近重要視されている福祉の概念と一致するものである。なお,すでに開発した仮想用具の操作と実在用具の操作を連携するフォースディスプレイシステムは遠隔操作が可能である。これは通信回線を用いて,空間に浮かび上がらせた仮想物体の仮想用具による遠隔からの立体視操作を保証する基本システムであり,インディケータを連動し,種々の操作に伴う感覚を複合的に実現し,臨場感と現実感を現出するものである。なお,立体視操作に関する技術と操作用具の一層の小型化・軽量化と操作性の改善により,装置の円滑な機能の発揮および自らの作業風景の立体視モニタリングを可能にする。

扱う仮想物体は実態のない数学モデルであるが,この操作時に発生する抵抗力・弾力・粘性力の発生の機序や材料を変形するときの実時間表現や仮想物体の重量感・存在感を実現するために,詳しい部分的な画像の選択的作成や画像の変化の忠実再現と高速合成のための処理が可能である。

本システムは,既存の煩雑すぎて現実感が減退したり,すべてを仮想で賄うものとは違って,本物が入手できるなら仮想現実に頼らず,現実のものを用いた体験重視に特徴がある。布・紙・木材・金属などの仮想材料,ハサミ・ナイフ・ノコギリなどの仮想工作用具をネットワークで提供し,不足物を補って作業を実行し,擬似経験を通して身心をリハビリする環境を個々の場合について整えることができるからである。

しかしながら,遠隔測定信号の処理および遠隔駆動信号により操作デバイスの任意の運動と反力を実現し,高性能通信回線と一体化した遠隔操作システムは残念ながら現在普及しているISDN通信回線やADSLを用いて,総合的システムとして十分に実現できない。というのは,これらは大容量高速通信ネットワークを前提とした我々の双方向通信と独自のバーチャルリアリティの集積技術によって可能であるからである。したがって,よく話題になるような高速通信ネットワークが整備されれば,人的資源,コンピュータ技術,遠隔操作技術,画像技術をフルに活用したリハビリテーションや労働支援の社会システムの実用化が十分可能である。

もちろん,映像化した仮想物体や仮想用具の存在感の実現の代表例にはこれまでに話題になったような精巧な三次元画像として構成した仮想臓器を用いて,その内部構造と組織間の位置関係を理解しながら拘束感のない外科手術訓練などがある。また,痴呆性老人のための遊びや前述のような仮想の料理や紙細工,裁縫など,これまでに想像できなかった作業も可能とする道筋を与えることもできる。

このような概念を支える仮想現実の技術を象徴的に図示すると,以下のような実体はないが画像で構成した物体があって,それに触れたり,働きかけができ,その存在を感じることができるようなことである。

 

6 現状と未来への展望

長寿社会からの要請と我が国の経済社会の情勢を鑑みて,本研究者らは発展期の情報通信システム技術を用いて,総合的な支援システムを構築し,その実用運用により広く役立てることを目指してきた。そのために,工学的観点だけでなく,社会的有用性や倫理性をより鮮明にした支援システムを構築してきた。ここで取り上げたものは技術協調による総合支援システムであり,傷病時にも自らの社会的役割と能力の維持,行動の自由選択,自立生活の充足感を得るために,リハビリテーション機能を越えた,広く趣味・娯楽を含めた社会参加支援システムとして位置づけられるものであった。身体が不自由でも病気でも,病室や居室で物を創造・生産する支援システムにより生産活動の継続や社会活動に積極的に参加し,自立生活と充足感の継続的維持を可能とするのに極めて有効である。したがって,経験を生かした労働支援システムであれば,老人が自らの存在を余裕をもって周囲に示す喜びを感じることができる。

その結果,これまでに行ってきたリハビリテーションや医療福祉のようなシステムから大規模高速情報通信操作システムが発展していくと地域生活や価値観が変化し,社会の仕組みも変化して時間的に近距離関係にある新しい形の共同体の形成と同時に生産流通システムが生じる可能性がある。

 

ところで,本システムはそれ自身の価値とは別に,現在各所で整えられつつある情報通信インフラストラクチャーを最大限活用し,新事業創設への進展,新技術への波及効果と大きな経済的効果を見込める総合技術を内包している。例えば,仮想物体の加工操作感覚を人工的に実現する技術,遠隔操作技術,通信技術は教育支援システム,極限作業遠隔支援システム,緊急在宅医療支援システムへの応用へ発展しつつある。本研究の実施期間は15年間に及び,ここで紹介した研究室の技術それ自身は,個々に実用化の可能性をもつ画期的な基礎技術であるだけでなく,これらを集約し構築した社会活動支援システムの活用は個々の技術のもつ価値を更に高めるものである。

なお,上記の技術は種々の領域での視覚教育,設計・開発ツールなど,または三次元立体視教育システム,痴呆性老人のためのゲームなどとして個々に実用化されている。もちろん,本物を自らが入手できるなら仮想現実に頼る必要はない。現実の物の優位性は強調しておかなければならない。たとえば,歩けないために欲しい材料だが入手できないものについては,物理的性質がよく似た仮想材料の提供をするということである。っすなわち実際に手足を動かしスポーツができるなら,仮想関環境に頼る必要はないということである。そんな使い方を社会に役立てようとするのが,ハイテクノロジィーを用いた病床からの社会参加である。

 

ここで紹介したシステムや技術の研究成果については論文としてすでに公表し,海外では米国,中国,ドイツなどで発表しており,評価を得ており,類似の研究は内外で他に見受けられない。