フリッツ・カルシュ博士について
東京医科歯科大学大学院 名誉教授 若松秀俊
教育の原点を身をもって教えてくれた旧制高校教師
国際会議の折に、ドイツ人のカルシュ博士を偶然に知りました。彼の学問的業績および旧制松江高等学校での生徒との交流、さらに当時の生徒が「人生の糧」を見い出した経過を詳しく調査してきました。また10年ほど前から、大学のあり方を模索していく中で、学生を対象に、何か役に立とうと考え、「高度な一般教養」を開講してきました。以来、多くの人々の賛同を得ながら、斯界の著名人に「人生観」あふれる講義をしていただきました。気がつくと、それがカルシュの在日当時の教育と奇しくも共通の土壌にあることが分かりました。 ほんの些細な試みではありますが、小生の教育に対する日頃の想いの実践の一つとして世の中にその是非を問いたく、関連記事を掲載いたしました。これまでは、単に一般の人々も「受講できる大学院の講義」の案内として、ネットワーク上に掲載していたものですが、カルシュの旧制高校での生徒との交流と通じるものを感じ、敢えてこれと結合してみました。


カルシュ博士と旧制高校に関する諸々の事項について、ご意見・ご感想をお寄せ下されば幸いです。お待ちしております。
フリッツ・カルシュ博士の大正末期から昭和初期 写真紀行
2000枚以上に及ぶカルシュが撮影した大正末期から昭和初期にかけての写真。そのうち軽井沢・富士箱根、鳥取(大山)、山口、岡山、神戸、比叡山、福井、日本海、松江、および海外(ドイツ、イタリア、スエズ運河、スリランカ)で撮影された写真の一部をカルシュ遺族から許可を受けましたのでアルバム形式で公開致しました。Flashによる表示になりますので、リンク先のページでは左上方のLoginボタンを押してから、Startボタンをクリックして下さい。右下の△印で前進後退します。
なお、これらの画像は遺族側にて厳密に管理されております。転載・掲載希望などに関しては必ず当方にご連絡頂き、無断転載などはなさらないで下さい。
画面の表紙をクリックするとアルバムが見られます。You can see an album, if you click its cover.






























- 忘れ得ぬ偉人、カルシュ一覧スライド
- システム使用方法
- How to use the system
- 大正末期〜昭和初期 軽井沢・富士箱根
- 大正末期〜昭和初期 鳥取(大山)
- 大正末期〜昭和初期 山口
- 大正末期〜昭和初期 神戸
- 大正末期〜昭和初期 神戸
- 大正末期〜昭和初期 比叡山
- 大正末期〜昭和初期 福井
- 大正末期〜昭和初期 日本海
- 大正末期〜昭和初期 富士箱根
- 大正末期〜昭和初期 旧制松江高等学校
- 大正末期〜昭和初期 雪景色
- 大正末期〜昭和初期 水の都
- 大正末期〜昭和初期 松江鉄道
- 大正末期〜昭和初期 家族・知人写真
- 大正末期〜昭和初期 松江の祭り
- 大正末期〜昭和初期 室内装飾
- 大正末期〜昭和初期 奥谷
- 大正末期〜昭和初期 田園風景
- 大正末期〜昭和初期 神社仏閣
- 大正末期〜昭和初期 松江
- 昭和初期 子供たち
- 第一次大戦
- 大正末期〜昭和初期 海外(ドイツ、イタリア、スエズ運河、スリランカ)
- カルシュ撮影39-40年
- 第二次大戦戦後ドイツ
- カルシュとの再会
- カルシュ晩年
画面の表紙をクリックするとアルバムが見られます。You can see an album, if you click its cover.
なお、これらの資料整理は高橋琢理氏(東京医科歯科大学大学院保健衛生学研究科, tck.mtec@tmd.ac.jp )の協力によるものです。
カルシュ博士のことを知って下さい
大正時代の終わり、自由の雰囲気がまだ日本全体にみなぎっていた頃、ドイツ人のカルシュ夫妻が憧れの日本の地を踏んだ。カルシュは旧制松江高等学校(現島根大学)のドイツ語教師の誘いを受け、プラーゲの後任として文部省の採用通知を胸に不安と希望の混じり合った気持ちで松江に入った。
カルシュはこれより昭和初期にかけて、多感な高校生を相手に松江高校で数多くの人材を育てた教育者であった。しかしながら、その業績が地元の松江ですら知られていない。彼の残した大きな足跡と人々との交流を是非全国の人々に知って戴けたらと思っている。
「袖すり合うも他生の縁」というが、縁もゆかりもなかったカルシュ博士と小生を全くの偶然が結びつけた。小生は30年程前にドイツ学術交流会の奨学生として、ドイツの大学の医学部で研究生活を送る中でドイツの文化とそれを生んだ風土に触れる機会を与えられた。そのドイツで5年前にカルシュ氏の娘の一人に出会ったことが発端であった。それに到る経過は単なる偶然と思えない出来事の連続であった。
彼は日本では、戦中戦後の混乱にあって、残念ながら歴史に埋もれ、忘れられた哲学者である。僅かな手掛かりから彼の足跡を追う中で、次第に彼の偉大さを知ることになった。世に知られざる彼の功績を、名の知られた異国からの人々と同様に、公平な眼で見てあげたい。そんな思いから筆をとった。
カルシュ生誕から110年が経過した。彼は、人の認識の発展過程を考究・実践する人智学者のシュタイナーを日本に紹介した人物でもある。日本を第二の故郷として愛したカルシュを顕彰することは日本だけではなく、日独関係や日本の哲学史研究の上からも大きな意味がある。
彼は教師として、教育に力を注ぐと同時に、日本の哲学や宗教の研究に力を注ぎ、著書と15,000ページにおよぶ未整理の研究資料を残している。また昭和15年からは外交官として終戦まで奉職した。松江を選んだのは、若き日に接したラフカディオ・ハーンの書の影響による。
彼の薫陶を受けた生徒の中には「長崎の鐘」で知られる永井隆をはじめ、多くの著名人を見い出すことができる。直接に指導と影響を受けた者としては、政界では国務大臣・知事など要職にあった人々、学界では著明な文学者、医学者、化学者などの学者、法曹界の重鎮、大使などの外交官などが見られる。さらに数知れない実業界の指導者、スポーツ界の功労者が挙げられる。また当時指導を受けた台湾と朝鮮からの生徒は、殆ど例外無く、戦後に故国で要職に着いてその発展に貢献した。その他、個人的接触や間接的接触によって、影響を受けた人は各界に多数見られる。なお、カルシュは画才に優れ、松江近辺や軽井沢の風景の90枚を越えたパステル画を残している。さらに、1,000枚を越える歴史的事実の貴重な写真を残しており、丁寧な保存と公開の機会が待たれている。
それにもまして、彼の複雑に書き込まれた未整理の哲学者としての研究成果は重要である。それゆえ、これをデータベース化して学生や若い研究者に提供できるように、公的な資金のもとでの作業が可能になることを願っている。
ところで、彼の住んでいた官舎が松江市奥谷町にいまも残っている。これを修理し記念館として、カルシュの遺族の所持品と小生が蒐集した資料の総てをここに保存し、人々に公開することが関係者の切なる願いである。カルシュの業績や生涯に関心があって、これまでに公表した資料については、次のアドレスにご用命あれば電子情報の形で差し上げたいと思っている。 wakamats.mtec@tmd.ac.jp
資料の頒布については、これまで公的な立場で用いられる方を優先に、可能な限りお応えできるよう、努力してきた。その公表成果については米国の遺族に対し報告する必要があるため、必ず小生にご連絡を頂くとの了解の元に頒布したにもかかわらず、実際には頒布先から報告を怠る例が少なからず見受けられた。遺族側への説明責任もあるため、遺憾ながら小生も資料希望のご用命に対応できない状況にある。ご了承願いたい。(平成22年3月9日追記)
想い出の中の旧制高等学校
旧制高等学校とは一体どのようなものであったのか。そして教育の現場では どのような影響を青少年に与えたのか。現在の教育で忘れ去られた人間性の育成は。 旧制高等学校の成立ちを江戸以前から歴史的に俯瞰。学生の社会性と主体性を豊かに育てた学生寮。カルシュが教壇に立った松江高等学校の元生徒達による授業、学校行事、部活動等の回想録も掲載。

カルシュ先生の薫陶を受けた日本人以外の生徒のリストはコチラ(pdfファイル 55kb)
フリッツ・カルシュの著作など
カルシュの遺した15,000ページに及ぶ膨大な資料。著書、日記、音声テープ、松江高校での講義ノートなどの写真を 公開致します。
カルシュの著作、他にも論文があります。
カルシュの残した膨大な資料の様子。
インタビューの様子 左からカルシュ、 カルシュの肉声による講演テープ メヒテルト、松原、アナウンサー
インタビューの音声
尊敬するシュタイナーの「人生の指針」。 カルシュの若き日の想い出
松江高校での講義ノート。宮田氏提供。右は和文独訳演習のページより。
多くの若者を育んだフリッツ・カルシュ
カルシュの遺した膨大な資料、関係者の証言により
浮かび上がった松江高校におけるフリッツ・カルシュと
学生達の交流。
門下生のその後と同窓生による
座談会でのカルシュと松江高校の思い。
カルシュ直筆のスケッチ
70年前の松江を含むカルシュの遺した 直筆スケッチ(カラー、白黒合わせて80枚以上)を PDFファイルで公開(容量約1.5Mバイト) 致します。

画像をクリックすると拡大します。 (2004年7月30日)
松江とカルシュ 今甦る70年前の松江
カルシュの遺した膨大な写真資料から甦った70年前の松江そして島根の姿。
カルシュ博士に関する主な参考文献
- 嵩のふもとに(旧制松江高等学校校史)
- 翆松 (旧制松江高校同窓会報)
- 大阪支部会報松友
- 東京松高会報
- カルシュ旧生徒および同窓生の手記
- カルシュ講義録、 宮田正信所蔵
- 新聞など
- 朝 日 新 聞 1968年10月5日
- 山陰中央新報 1968年10月5日
- 長 崎 新 聞 1968年10月16日
- おもしろ紙三号 1997年3月
- おもしろ紙十号 1999年3月
- 同窓会員名簿 1994年4月
- 関連著書
- 若松秀俊「忘れられた異人さん」多くの若者を育んだフリッツ・カルシュ 松江での日々と日本への想い (資料) 平成13年
- 若松秀俊「想い出の中の旧制高校」私達はカルシュ先生の生徒でした。(資料) 平成13年
- 酒井勝郎 田舎の大学から(私家版)昭和44年
- 酒井勝郎 初旅のヨーロッパ三週間 (私家版)昭和50年
- 酒井勝郎 カルシュ先生(私家版)昭和55年
- Fritz Karsch: Das Freiheitsproblem bei Kant und Nicolai Hartmann.-Japanische-Deutscher Geistesaustausch Heft 1日独文化協会(1928).
カルシュ家の人々

カルシュ家の歴史
- 1890 ラフカディオ・ハーン松江に入る
- 1893 フリッツ,ブラゼヴィッツに生まれる
- 1899 小学校入学
- 1901 父ヘルマン肺炎で死亡
- 1903 ノイシュタットギムナジウム入学
- 1905 ブラゼヴィッツギムナジウム転校
- 1911 ドレスデン国際博覧会が開催
- 1914 大学入学資格試験に合格
- 1914 ドレスデン工科大学入学
- 1914 第一次大戦 通信兵として従軍
- 1918 復員
- 1919 マールブルク大学入学
- 1921 エンメラと結婚
- 1923 マールブルク大学で哲学博士授与
- 1925 松江高等学校着任
- 1928 メヒテルト誕生
- 1931 アクセンフェルト教授 日本眼科学会の招待により来日。各地を巡回講演
- 1931 ドイツ一時帰国・親類との交流
- 1937 ウッドマン家全焼
- 1937 フリーデルン誕生
- 1939 松江高校退任・ドイツ帰国
- 1940 ドイツ大使館勤務 副武官
- 1945 終戦
- 1947 ドイツ強制送還
- 1947 メヒテルト結婚
- 1954 メヒテルト離婚
- 1954 メヒテルト、ヘルベルトと再婚
- 1955 エドワード誕生
- 1957 フリッツの米国チャタヌーガ訪問
- 1957 エリザベート誕生
- 1960 日本週間中に三笠宮崇仁殿下主催のパーティに招待される(マールブルク)
- 1967 年金生活にはいる
- 1967 アルベルト・コルベ老人ホーム入居
- 1968 日本訪問(旧制松江高等学校同窓会の招待による)
- 1971 フリッツ、カッセルで死亡
- 1978 エンメラ死亡
- 1999 著者とフリーデルンと偶然の出逢い
- 2001 著者とメヒテルト夫妻との面会
薫陶を受けた著名人
旧制松江高等学校でカルシュ氏在職中に薫陶を受けた者に
- 政界では衆議院議員で自治相を務めた赤澤正道(昭和2年卒業の4期文乙)、元衆議院議員の楢橋 勇(6期文乙)、高田富之 (9期文乙)、元衆議院議員・労働大臣の山手満男(11期文乙) 衆議院議員、国務大臣10回、衆議院議長を歴任した福永健司(7期文甲)、衆議院議員で自民党総務会長、行政管理・防衛庁長官、運輸大臣を歴任した細田吉蔵(9期文甲)や元島根県知事の伊達慎一郎(5期文乙)がいる。
- 外交官としては元イラン・インド・中華民国・ブラジル大使歴任の宇山 厚(9期理甲)、海外移住事業団理事、ウルグアイ大使を歴任勲二等瑞宝章受章の大城斉敏(10期文甲)がいる。
- 法曹界では、大阪弁護士会会長、日弁連会長を務めた和島岩吉(5期文乙)、元福岡高等裁判所長官、国士舘大学学長を務めた綿引紳郎(15期文乙)、元広島高等裁判所長官の松本冬樹(8期理甲)と同じく元広島高等裁判所長官矢崎憲正(10期文乙) が挙げられる。
- 学術界では元長崎医科大学放射線医学教授で「長崎の鐘」で知られる永井 隆(5期理乙)、レーダ開発に従事した元島根大学教授・元琉球大学教授の酒井勝郎(5期理乙卒)、元北海道大学印度哲学教授,僧侶で鈴木大拙後継者の古田紹欽(10期文乙)、 元滋賀大学国文学教授で雑俳史研究家の宮田正信 (9期文乙)、元大阪大教授微生物病研究所長で紫綬褒章を受章したウィルス分離研究の奥野良臣(14期理乙)がいる。
- 芸術界・出版界では元カリフォルニア州立フラントン大学教授でドイツ留学後欧米で活躍した舞踏家の邦正美(朴永仁)(8期文甲)、「暮らしの手帖」社設立、編集長を務めた花森安治(10期文甲)、岸田国士の劇作同人、大映グランプリ羅生門のプロデューサ・放送作家の辻久一 (9期文乙)
など枚挙に暇がない。
著名なカルシュの縁者
- テオドール アクセンフェルト(伯父)
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フライブルク大学教授 エンメラの伯父、1931年日本眼科学総会に招待され,来日日本各地を巡回講演。眼科学の世界的権威。モラー・アクセンフェルト菌(モラクセラ・ラクターナ)を発見。 - エディット ピヒト-アクセンフェルト(従妹)
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フライブルク大学教授 多数の日本人ピアニストを弟子にもつ、世界的ピアニスト、チェンバリスト。 草津アカデミーには1981年(第2回)から参加、講師として生徒を指導するとともに数多くの名演を残した。11回目の参加となった1996年(第17回)の来日を最後に演奏活動から身を引いていた。 - 聖エリザベート
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棺の装飾に記録があった人物でチューリンゲンの出身。聖エリザベート教会は彼女の名に因んで命名された。エンメラの約700年前の祖先。写真はドイツの聖エリザベート教会をマールブルク城から撮影したもの。 - ヘルベルト・セイント・ゴア
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メヒテルトの夫で戦時中は米兵として従軍。ドイツシュピーゲル紙に「ヒトラーがパリ滞在中のカラー記録映画」を公開、売却。セイント・ゴア氏の祖先はライン河流域の古都ゴアの出身である。この記事が縁で2002年9月にゴア市長から招待された。
カルシュ顕彰に関する最近の報道記事
- 東京新聞 夕刊 心のファイル「忘れられた 日本の恩師ドイツ人哲学者」(2000年10月4日)。
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- 日本経済新聞 文化欄 「遠来の師今なお追慕」(2000年12月20日)
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- 産経新聞 関東版 文化欄 「独人哲学者、フリッツ・カルシュ氏 日本を愛し、偉大な足跡を残す」(2001年1月13日)
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- 産経新聞 関西版 文化欄 「第二の故郷、日本を愛して、あるドイツ人哲学者のこと」(2001年1月18日)
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- 山陰中央新報「カルシュ博士の情報提供を」第二のハーン顕彰へ 東京の大学教授呼び掛け(2001年4月6日)
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- 日独協会機関誌「かけ橋Die Brucke」カルシュ一家が住んでいた官舎 Die ehemalige Wohnung der Familie Karsch. 2001年5月号表紙
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- 日独協会機関誌「かけ橋Die Brucke」日独文化交流を支えた人々第一回 旧制松江高等学校教官 フリッツ・カルシュ博士 Forderer des japanisch-deutschen Kulturaustausches (1) Lektor an der Matsue Kotogakko Dr.Pil. Fritz Karsch (1893-1971) 2001年9月号 7-8頁
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山陰中央新報『明窓』カルシュ博士と松江(平成14年7月28日掲載)
さらに、松江高校同窓会九期文乙の白石氏や地元の園口氏による紹介記事です
カルシュについては山陰中央新報にその紹介記事が連載されました。
- 山陰中央新報連載「カルシュの足跡を追って」 2003年5月13日〜2003年12月30日
- 第 1回 「忘れられた異人さん 多彩な人材を育てる」
- 第 2回 「人となり・生涯 日本の宗教や文化に共感」
- 第 3回 「住居と庭(上) 渡りに船の松江赴任」
- 第 4回 「住居と庭(中) 火災時隣人の行動に感嘆」
- 第 5回 「住居と庭(下) 愛情込めて遊び場手作り」
- 第 6回 「家庭生活(上) 父娘のきずなと心の交流」
- 第 7回 「家庭生活(下) 長女は、やはり母親似」
- 第 8回 「近所の人々 渡部家と親密な付き合い」
- 第 9回 「出会い(上) 幾重にも重なった偶然」
- 第10回 「出会い(中) 細々と史実確認の作業」
- 第11回 「出会い(下) 記録に残す必要性痛感」
- 第12回 「生い立ち(上) 裕福な家庭に生まれ育つ」
- 第13回 「生い立ち(下) 戦争経て哲学に関心移る」
- 第14回 「緑の糸(上) 大学でエンメラと出会う」
- 第15回 「緑の糸(下) 哲学博士の学位を取得」
- 第16回 「学問と著述(上) 1万5000ページものメモ残す」
- 第17回 「学問と著述(中) 行動的人智学者として」
- 第18回 「学問と著述(下) 二人の娘に人智学伝える」
- 第19回 「松江高等学校(上) ハーンへの憧憬から松江に」
- 第20回 「松江高等学校(中) 全国各地から若人が集う」
- 第21回 「松江高等学校(下) 教授陣に多彩な外国人も」
- 第22回 「親類と縁者(上) 忘れ得ぬ「ふるさと」」
- 第23回 「親類と縁者(中) 学者や芸術家を輩出」
- 第24回 「親類と縁者(下) 歴史的事件ともかかわる」
- 第25回 「子どもたち(上) 神社や寺院で仲良く遊ぶ」
- 第26回 「子どもたち(下) 神話も学んだメヒテルト」
- 第27回 「ドイツ語の授業(上) 厳格だったプラーゲ先生」
- 第28回 「ドイツ語の授業(中) 厳格で猛烈な会話訓練」
- 第29回 「ドイツ語の授業(下) 温厚、親切なカルシュ先生」
- 第30回 「講義録から(上) 宿題を細かく丁寧に添削」
- 第31回 「講義録から(中) 詩を間に入れ、優しく授業」
- 第32回 「講義録から(下) カルシュも楽しみつつ授業」
2004年4月にNHK松江放送局で行われたカルシュ関連の資料と写真の展示会に関する記事を載せました。
2004年7月30日付けの日経新聞 文化欄 ラフカディオ・ハーン没後100年 カルシュが訪れたハーンの逗留した宿場の写真とカルシュ手書きの説明を著者が発見したことについて紹介いたします。二人の縁繋がりを示すものです。なお、関連して月刊誌「致知」に著者のカルシュに関する原稿を載せました。


読売新報連載「島根の記憶」 2004年7月15日〜2004年12月9日
- 第01回 「袖師ヶ浦の地蔵 亡き子しのばせる湖畔」
- 第02回 「カルシュ、その人(1) 各界の重鎮ら育てる」
- 第03回 「カルシュ、その人(2) 松江で心の平安発見」
- 第04回 「島江町加賀 寄港地でにぎわった”楼”」
- 第05回 「松江の大火 見渡す限り焼け野原」
- 第06回 「大橋川の四つ手網漁 絶えた水辺の風物詩」
- 第07回 「メッチェン山 旧制高生あこがれ込め」
- 第08回 「松江・石橋町 欄干に街道の面影」
- 第09回 「松江駅 開業で近代化幕開け」
- 第10回 「松江・三角屋根の外人官舎 小さな交流にもお国柄」
- 第11回 「松江大橋(1) 「18代目」夢から覚め」
- 第12回 「松江大橋(2) 仮橋げた音陽気なリズム」
- 第13回 「多賀神社と河畔 幸せ願う素朴な世界」
- 第14回 「松江の鼕(1) 祝い歌地域にきずな」
- 第15回 「松江の鼕(2) 「超気持ちいい」伝承」
島根日日新聞 フリッツ・カルシュ「神々の里に見た美と安らぎ」(2005年1月1日)
カルシュが如何に松江の人々とその風土を愛したかが描かれています。
朝日新聞 もう1人のハーン名はカルシュ(2006年3月24日)
朝日新聞連載「ドイツ人哲学者がみた 島根・日本」 2008年6月11日〜2009年3月25日
これまで未公開であったカルシュの残した写真を手がかりに。戦前の島根そして日本の姿。
- 第01回 「カルシュへの思いをはせて」
- 第02回 「松江への道」
- 第03回 「松江の街並み」
- 第04回 「宍道湖畔」
- 第05回 「大橋川のたたずまい」
- 第06回 「中海への誘い」
- 第07回 「田園の記憶」
- 第08回 「真山城跡から」
- 第09回 「お堀巡り」
- 第10回 「奥谷の雪景色」
- 第11回 「官舎の庭」
- 第12回 「須衛都久神社」
- 第13回 「月照寺の霊廟」
- 第14回 「神魂神社」
- 第15回 「春日神社の雪と花」
- 第16回 「奥谷の雪景色」
- 第17回 「万寿寺のあたり」
- 第18回 「石橋のあたり」
- 第19回 「千手院」
- 第20回 「枕木山から」
- 第21回 「朝日山から」
- 第22回 「旧制松江高校」
- 第23回 「官舎のクリスマス」
- 第24回 「親しい友と」
- 第25回 「楽山公園」
- 第26回 「御大典のとき」
- 第27回 「城山稲荷神社」
- 第28回 「鼕行列」
- 第29回 「ホーランエンヤ」
- 第30回 「児守稲荷神社」
- 第31回 「旧制松江高の生徒らと」
- 第32回 「嵩のふもとに」
- 第33回 「奥谷の近所」
- 第34回 「美保の北浦」
- 第35回 「手結浦」
松江郷土館(興雲閣) 企画展示「松江を訪れた外国人たち」の様子 (2005年4月1日〜2005年8月31日)
Jan Jan Blogでの公開記事
- 2010年 5月15日 「歴史の狭間に埋もれた教育界の偉人・カルシュ博士」
- 2010年 5月18日 「ドイツ人 哲学者 カルシュ博士の残したもの」
- 2010年 5月22日 「失われた気概を旧制高校の教育に見る」
- 2010年 6月16日 カルシュの教育の原点を探る (1) 旧制松江高等学校
- 2010年 6月19日 カルシュの教育の原点を探る (2) カルシュと松江との出会い
- 2010年 6月27日 カルシュの教育の原点を探る (3) 諸々の因縁
- 2010年 7月 6日 カルシュの教育の原点を探る (4) シュタイナーとの因縁
- 2010年 7月19日 カルシュの教育の原点を探る (5) 旧制松江高の生徒らと
- 2010年 7月20日 カルシュの教育の原点を探る (6) 嵩のふもとに
- 2010年 8月 9日 カルシュの教育の原点を探る (7) 生徒たち
- 2010年 8月11日 カルシュの教育の原点を探る (8) 地震の後で
- 2010年 8月13日 カルシュの教育の原点を探る (9) 写真から窺う授業
- 2010年 8月15日 カルシュの教育の原点を探る (10) 講義を通して
- 2010年 8月16日 カルシュの教育の原点を探る (11) 奥谷のあたり
- 2010年 8月17日 カルシュの教育の原点を探る (12) 子供の世界
- 2010年 8月18日 カルシュの教育の原点を探る (13) 幼な馴染み
- 2010年 8月19日 カルシュの教育の原点を探る (14) エンメラと友
- 2010年 8月20日 カルシュの教育の原点を探る (15) 官舎の夕べ
- 2010年 8月21日 カルシュの教育の原点を探る (16) 同僚とともに
- 2010年 8月23日 カルシュの教育の原点を探る (17) 思索と行動
- 2010年 8月24日 カルシュの教育の原点を探る (18) 大山との縁
- 2010年 6月25日 カルシュの見た出雲地方 (1)自然と神々
- 2010年 6月26日 カルシュの見た出雲地方 (2)一畑電鉄の開通
- 2010年 6月29日 カルシュの見た出雲地方 (3)一畑薬師へ参詣
- 2010年 7月 1日 カルシュの見た出雲地方 (4桜咲く清水寺
- 2010年 7月 4日 カルシュの見た出雲地方 (5)鰐淵寺
- 2010年 7月 8日 カルシュの見た出雲地方 (6)美保関
- 2010年 7月12日 カルシュの見た出雲地方 (7)美保の北浦
- 2010年 7月14日 カルシュの見た出雲地方 (8)手結浦から御津浦へ
- 2010年 7月16日 カルシュの見た出雲地方 (9)加賀潜戸の旅
- 2010年 7月23日 カルシュの見た出雲地方 (10)加賀浦の人々
- 2010年 7月25日 カルシュの見た出雲地方 (11)多古鼻へ
- 2010年 7月27日 カルシュの見た出雲地方 (12)皆生温泉
- 2010年 7月28日 カルシュの見た出雲地方 (13)掛合竜頭の滝
- 2010年 7月22日 カルシュの見た出雲地方 (14)立久恵峡
- 2010年 7月29日 カルシュの見た出雲地方 (15)出雲大社
- 2010年 7月31日 カルシュの見た出雲地方 (16)大社から日御碕へ
- 2010年 8月 3日 カルシュの見た出雲地方 (17)日御碕の印象
- 2010年 8月 6日 カルシュの見た出雲地方 (18)温泉津町への想い
- 2010年 8月12日 カルシュの見た出雲地方 (19)浜田への旅
- 2010年11月 1日 カルシュの見た日本各地 (1)大山その因縁
- 2010年11月 3日 カルシュの見た日本各地 (2)大山への道すがら
- 2010年11月 4日 カルシュの見た日本各地 (3)外から眺めた大山
- 2010年11月 9日 カルシュの見た日本各地 (4)友と過した大山
- 2010年11月22日 カルシュの見た日本各地 (5)大~山神社
- 2010年12月 5日 カルシュの見た日本各地 (6)大山寺阿弥陀堂
- 2010年11月12日 カルシュの見た日本各地 (7)東尋坊
- 2010年11月14日 カルシュの見た日本各地 (8)永平寺
- 2010年11月17日 カルシュの見た日本各地 (9)山口への旅
- 2010年11月19日 カルシュの見た日本各地 (10)山口から防府へ
- 2010年11月23日 カルシュの見た日本各地 (11)比叡山
- 2010年12月 8日 カルシュの見た日本各地 (12)柏原の旅
- 2010年12月10日 カルシュの見た日本各地 (13)神戸の港
- 2010年12月12日 カルシュの見た日本各地 (14)ドイツからの友
- 2010年12月14日 カルシュの見た日本各地 (15)六甲山の印象
- 2010年12月15日 カルシュの見た日本各地 (16)兵庫大仏
- 2010年12月16日 カルシュの見た日本各地 (17)岡山への旅
- 2010年12月17日 カルシュの見た日本各地 (18)吉備津神社
- 2010年12月18日 カルシュの見た日本各地 (19)後楽園公園
- 2010年12月20日 カルシュの見た日本各地 (20)宮島の訪問
- 2010年12月21日 カルシュの見た日本各地 (21)博多訪問
- 2010年12月27日 カルシュの見た日本各地 (22)大使館時代
- 2010年12月28日 カルシュの見た日本各地 (23)軽井沢
- 2010年12月29日 カルシュの見た日本各地 (24)富士山
その他の資料
2000年6月ドイツ大使による公邸でのパーティーに招かれた折,カルシュに関する調査,資料収集に対し激励を受けました。左から花井日独協会理事,ケストナー駐日ドイツ大使(当時)および著者。
これらはカルシュが家族のために買い求めた人形の一部です。多くの人形が現在でも大切に保管されています。
次の2枚の写真は精巧なミニチュアの日本家屋です。ままごと遊びに用いられたようです。食卓に載っているお膳の様子まで非常に精密に作られています。掛け軸や三味線などの小道具が細かく作り込まれています。
カルシュがメヒテルトのために購入した絵本の一部です。日本の昔話を集めた講談社(当時は大日本雄弁会講談社)の絵本です。全巻今も米国とドイツの娘が分割して保管しています。
次は、同じく講談社の絵本です。これは金太郎の紹介の部分です。裏表紙には広告が載っています。記名欄には「メヒテルトカルシュ」と名前が記されています。
カルシュ博士の調査にAndreas STIEF夫妻が協力してくれました。(2001年9月,Kaufbeurenにて)

協力してくださった時の映像です。(wmv形式)
本サイトに関する参考図書
湖畔の夕映え 若松秀俊著 文芸社刊(2002年)

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「湖畔の夕映え」をPDFファイルで公開しております(約920kバイト)
参考ために本書の書評及び紹介記事を記載します





リンク集
読売新聞 連載島根の記憶 連載
松江一中20期WEB同窓会・別館 松江にかかわりのある本の紹介
若松研究室 - 2016年6月28日更新 - ご意見ご感想はこちらへ
これらの資料整理は高橋琢理氏(東京医科歯科大学大学院保健衛生学研究科, tck.mtec@tmd.ac.jp )の協力によるものです。